ときに水面を眺めながら

そんなに美しくもないし優しくもない人生

心のさざ波が静まるまで

f:id:cyancy:20200622113308j:plain

Webライターは文章を書くのが仕事だが、店のコラムを書くときは四苦八苦する。

読み終わった後に心がキラキラするようなコラムを書きたくて、
構成を考えている段階で、すでに頭の中は文字でいっぱいになってしまう。

 

深く考えないで読めるような、平易な文章を書くのは好きじゃない。

何度でも読み返したくなる文章、
それも、読み返すたびに薄墨のように心に広がって、気が付いたら書き手の思うままに染まってた
そんな文章がいい。

f:id:cyancy:20200622150052j:plain

ブログもアフィリエイトもやっていたから、人が飛びつきやすい「言葉」の選び方も知っている。
簡単に、それなりに形になる文章の書き方も知っている。

でもそんな技巧的で飾った文章なんて、読んでいて感動するだろうか。
読み終わった後、心の中にキラキラと光る欠片が残るだろうか。

人の心ってもっと複雑なんだよね。

人の心の隙間にフワッと入り込むような、
温かく浸みこむような
そんな文章は、どうやったら書けるのだろう。

  

何も書けないときの私の心は嵐の水面のよう。
焦りで簡単に泥色に濁ってしまう。
そんなときは心のさざ波が静まるまで、ただじっと待ち続けるしかない。

さざ波が静まったとき
澄んだ水の底に、宝石のように煌めく言葉が見えるかもしれないから。

f:id:cyancy:20200622155137j:plain

心の中に潜って、水の底に眠っている言葉を拾い集める作業は、たぶん自分自身と向き合う作業なのだろうと思う。
必死に手繰り寄せても、たいていは宝石じゃなくてただの綺麗な石なんだけど
それも平凡な私らしくて、素朴でいいと思っている。

ちなみに「言葉が降ってくる」と表現されることも多いけど、言葉の探し方は人それぞれのようです。
浜辺で貝殻やシーグラスを拾う感覚の人もいれば、森の中で木の実や美しい蝶を見つけるような感覚の人もいるし、「散歩すれば道端に落ちてるよ」って人もいる。

私は心のさざ波が静まるまで、無心に庭の草むしりをする。

f:id:cyancy:20200622165737j:plain
画像:ルピナス

特別でもない。刺激的でもない。
平凡でありふれた私には、オシャレで洗練された文章はどうしたって書けないのが残念だけど
それでも誰かの心をフワッと包み込めれば、私は嬉しい。

 

さあ
キラキラ光る言葉の欠片を拾いにいこう